bottibottiの日記

旅、城、写真、PC、Mac、バイク、車、株などなど趣味のブログ

ぶらり旅の日記 蒜山・湯原・出石・城崎

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城崎にて

ちょっと京都に用事ができまして、ついでに祇園にあるお気に入り老舗洋食レストランでランチでもと思い、旅に出ました。

数々の求職活動を悉く失敗し、相変わらず無職の私には「新幹線」などぜいたく品で、「金の切れ目は命の切れ目」のような状況ですが、幸い時間ならたっぷりあるから、得意の車中泊で下道GO!です。

いつも国道9号か2号かで東方に向かうのですが、単純往復ばかりではつまらないので今回はちょっと寄り道をして、岡山の蒜山高原湯原温泉、兵庫の出石、城崎へ行きました。

蒜山高原

岡山県北部、標高600mほどの高原です。

空気がきれいで、穏やかな高原だなと思いました。

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蒜山高原にて 1

ジャージー牛乳の一大産地らしいです。最近では蒜山焼きそばが有名で、実はそれ目当てでしたが、早朝すぎてお店が開いておらず断念。残念。

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蒜山高原にて 2

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蒜山高原にて 3

途中、霧が出ていて幻想的な風景も。

湯原温泉

蒜山高原からそんなに遠くないところにある温泉です。

ある旅行作家による露天風呂ランキングで「西の横綱」にランクされた砂湯があり、以前から一度は行ってみたいと思っていました。

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湯原温泉

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湯原温泉にて 1

その砂湯は入湯無料で、簡単な脱衣所があり、川沿いに湯舟がいくつか作ってあり、美人の湯はぬるく長湯に最適、長寿の湯は40度前後で気持ちよく、といった分け方がされていました。単純アルカリの泉質はやわらかく、その湯上りのさわやかさは他ではあまり経験がないほどでした。そばを流れる旭川の流れる音や、わか緑色の新緑、小鳥のさえずりなど心地よすぎてついつい長風呂してしまいました。混浴だったので、写真を撮っておらず、ここにアップできないのが残念です。

また、市営駐車場も日帰り観光客には無料ですし、町のあちこちにトイレもあります。到着はわりと朝早くでしたが、町の人々がお揃いの黄色いベストを着て清掃などされていて、ほんとうに心地よい温泉街でした。

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湯原温泉 2

【出石】

城下町の風情がほどよく残る出石の町並み。

碁盤目状の町割りから但馬の小京都とも呼ばれているそうです。

実際に、碁盤目状の通りに沿って間口が狭く奥に長い町屋づくりの建物が随所に見られます。

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出石にて 1

ここも以前から一度は訪れたいところでした。

維新の立役者の一人木戸孝允桂小五郎)が、禁門の変1864年)に敗れた際、潜伏した地として有名だからです。

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桂小五郎居住跡の辺り

隠れた家は、当時荒物屋だったそうですが、そこにいる男がそんな大物だったとか、近所の人も思わなかったでしょうし、本人は何を思ってこの地にいたのか、ロマンを感じてしまいます。

さて、出石といえば出石皿蕎麦も有名です。

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出石そば

出石には約50軒ほどの蕎麦屋さんがあるそうです。

そばのうまさはもちろん、私が入ったお店は出汁が最高でした。

基本は5皿の様ですが、追加で頼むことができ、40皿とか決められた数を頼むとその店の番付にのったり、蕎麦通認定されたりするそうです。

また、出石には戦国時代の山城、有子山城(高城)や、江戸期の平山城出石城跡もあります。同じ有子山の山頂と山麓にあります。山頂まで、標高は320mくらいなのですが、歩くとなると1時間40分ほどかかるようでしたから、今回は出石城本丸跡の神社まで行ってきました。

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稲荷神社への参道

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出石城

【城崎】

文人たちに愛された城崎温泉

有名すぎて、今回説明はしませんが、天気も良く、川風の心地よい日でした。

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城崎にて 1

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城崎にて 2

無職の私には外湯入湯料の600~800円が高すぎて入れなかったことが心残りです。

しかし、何と!1日違えば「温泉まつり」のイベントがあり、外湯入湯無料でした。残念。

 

さて、今回は京都目指してぶらり旅に出ました。

下道を軽自動車で車中泊しながらの貧乏旅。

決算すると、約1500kmの走行距離。ガソリン代は約8,000円。

車中泊なので、ガソリン代=旅費+宿泊費(4泊5日)です。

頑張った愛車の平均燃費写真を貼っておきます。

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カタログ値が25kmなのでかなり良かった

では、また。

白川郷へいってきました

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白川郷です

話は前後しますが、3月の上旬に白川郷へ行ってきました。

もともと、退職の卒業旅行として北海道と白川郷へ雪を見に行こうと思っていました。それが、いろいろとあり、時期が遅くなって、雪のない3月になりました。

さて日程は、日本海側を走るほうが距離は長くなりますが、信号が少ないとか、道の駅がたくさんあるとか、そんな理由で先ずは福井へ。

一乗谷の朝倉氏遺構を見物しました。

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一乗谷の復元されたまちなみ

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武家屋敷内部を再現してありました

 

 

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朝倉氏遺跡 唐門

見物を終えると既に17時すぎ。

このまま酷道の誉れ高い158号を白鳥方向へ行くか、金沢富山方面へ行くか。

迷った末に158号へ。私のおおざっぱな地図帳には、冬季閉鎖とありましたが、それは酷道の本丸と言える油坂付近の一般道だけで、別にある自動車専用道路(白鳥まで無料。その先は知りません)が通行できました。で、夜も遅くなり近くの道の駅で車中泊

翌朝、白川郷を目指しました。

観光客は町中へ車の乗り入れができないので、川沿いの大きな駐車場へ。

であい橋をわたって白川郷へ。

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朝早いため、わらぶきの屋根からもうもうと水蒸気が

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雪があればなあああああ

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やっぱりきれいな風景ですね

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天守閣展望台より

ちょっと時季外れの平日でしたが、インバウンドのみなさんが大勢で、そのほとんどはアジア系のようでした。せっかく「日本に行きたい」と思って来てくれたので、何か親切のひとつでもできるチャンスがあればと思っていましたが、何もコミュニケーションがないまま白川郷を後にして飛騨高山へ。

そこでは「高山ラーメンひとつと、高山ラーメンひとつと・・・」なんて思いながら街並みを散策し、高山ラーメンへ。

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飛騨高山の街並みです


実は高山ラーメンが大好きで、若いころからこの辺に来れば必ず食べます。

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うまいッス!高山ラーメン

それから帰りは犬山城を見ようと急ぎましたが、16:30閉門で、10分間に合わず16:40着!残念。犬山城は現存12天守のひとつで、最近まで個人所有だった珍しい城です。

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とりあえず写真だけでも

翌日は、彦根城へ行きました。

それも現存12天守のひとつで、美しい外観のお城です。

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うつくしい外観の裏には・・・

でも、しかし。実際つぶさに見て回ると、美しい外観のうちに秘めた「やる気まんまん」のお城です。築城時の時代背景からそうならざるを得なかったという事は理解できます。案内ボランティアの方にもいろいろと話しを聞かせていただきました。ありがとうございました。それらも含めて近いうちに「日本の城その2彦根城」記事をアップしたいと思います。

 

では、また。

今年も桜が咲いたので

各地から桜のたよりが届く今日この頃。

私も写真を撮ったのでアップしますね。

先ずは秋月の桜の馬場。

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桜の馬場 入口(出口?)

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その1

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その2

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その辺にいた猫

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その3

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その4

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その5

次は熊本の本妙寺

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その1

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その2

最後に山口 周南市の道の駅から見えた桜の木です。

 

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道の駅の川向うでした

では。また。

お遍路さん始めました

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3番から4番札所へのへんろ道

お遍路さんを始めました

昔からいつかは・・・と思っていたので。

今回は初日が1番から3番を車で。2日目、4番から6番を徒歩で。3日目7番から12番を車で。といった具合に徒歩と車の併用でした。今後もそのようにすすめていくつもりです。

先ずは出発前の準備。

第一番札所にはいろんなグッズを売っているというネット情報でしたが、急ぎ配送されるものはネット通販で取り寄せました。

納経帳、勤行用経本、さんや袋、数珠です。

巡礼用白衣と、納札は通販では日数がかかりそうでしたので、一番札所で買いました。

一番札所には様々なグッズが、通販と同じか、ちょっと安いくらいで売っていましたので、準備できなかった方は現場で購入しても良いかもです。

では一番札所にてのお話です。

前もって読経の練習や手順の勉強をしたつもりでしたが、物忘れのお年頃でもあり、頭の中が真っ白でした。まごついてしまい全てのお勤めを終えるのに1時間くらいかかりました。周りを見ると、すっかり観光地化しているので、お辞儀だけで御朱印をいただく方もいましたが、私は手順通りするつもりです。

慣れてくると手順通りのお勤めも10~20分くらいで出来るようになりました。

2日目は徒歩でのお遍路さんです。

分かれ道などには地元有志の道しるべがあるので、ちょっと迷ったくらいで無事たどりつけました。「同行二人」と言いますが、やはり一人で歩いてみるとその有難さがわかります。

3日目はまた車でまわりました。

11番から12番へ向かう時、カーナビの示す道を疑いもなく行きましたが、これが誤算でした。国道192から県道43へ入る道です。たいへん「こわいよー」というような道です。帰りは、地元の方に教えてもらった県道43を国道438へ抜ける道を通りました。こちらのルートの方がまだ良かったです。車の場合、11番からは大回りになりますが、おすすめです。

さて、12番焼山寺は4月というのに雪が降っていて、深い山中であることを実感するとともに、今回のお遍路さんでは一番印象深いお寺となりました。

自分を見つめるとか、先祖供養とか、そういった目的で始めたお遍路さんです。

これから「区切りうち」を行い、生きてるあいだに結願できればと思っています。

 

 

 

 

北海道へ行ってきました!

会社を辞めた記念の「卒業旅行」として、北海道へ2泊3日で行ってきました。

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旅行代理店のパック旅行を利用しました。

・福岡-新千歳の往復航空券

・2泊分の宿泊代

・夕食1回

・3,000円のおみやげクーポン

しめて約48,000円。東京へのパック旅行と大して変わらず、お得でした。

さて、1日目。

福岡を午前中に出発して、14時頃新千歳着。日本海上の直行最短ルートですから思ったより早かったです。

新千歳から札幌へ向かうJRの快速エアポート号は、小樽行きもあるため、それに乗って(新千歳では鉄道のアクセスが便利で、また何事もなかったため、手荷物を受け取っても、着陸から駅まで25分くらいでした)

小樽へ直行。小樽は大正ロマンの街らしく、どこか異世界のような雰囲気を感じました。同じ大正ロマン門司港レトロと比べても、やはり雪の重みがそう感じさせるような気がします。

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小樽運河


1時間ほど市内を見て回り、札幌へ。

駅を通り抜けホテルへ向かう途中、人が少ないのに気が付きました。

札幌は195万都市、福岡は153万都市。博多と比べてこんなに少ないのはおかしいと思っていると、地下通路にわんさといました!札幌駅から、すすきのくらいまで地下鉄南北線に沿って地下通路があり、みなさんそっちを利用するのですね。雪や水たまりもなく歩きやすい。地下通路は大正解だと思います。

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パック料金に含まれた夕食です。飲み放題付

ホテルからすすきのまで地下通路で約15分。

夕食で飲んだくれ、ラーメン横丁でみそラーメンをすすって、ホテルに帰って爆睡して初日終了です。

2日目。ホテルの朝食。バイキングなのですが、中でもにしんそばとクリームシチュー、牛乳が最高でした。

さて、8:30には札幌駅西口みどりの窓口へ行き、本日予定分の切符をまとめてカードで購入。交通系ICカードは、札幌を中心に、小樽、岩見沢までしか使えないためです。先ずは旭川廻りで美瑛へ。もう何度も行っていますが、四季の塔からの雪景色が見たいと思いました。(列車の時間もあり、丘めぐりは残念ながら断念)

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美瑛駅

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四季の塔から見た町の雪景色

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四季の塔から見た丘の風景

美瑛から富良野へ。そこで日が暮れました。

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富良野駅前の風景

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富良野で見た夕焼け

富良野駅前を散策し「子供がまだ食べてるでしょうがぁ~」といった昭和の雰囲気の食堂でもないかと探しましたが列車の時間もあるため、見つけられませんでした。

根室本線で滝川へ。

途中街灯もなく真っ暗なところが多く、北海道の厳しさを感じました。

滝川から特急で札幌へ。向かいのホームで乗換でしたから便利でした。

札幌では、再びすすきので夕食。

今回はあたたかな天気が続いていて、雪を見たく(地元の方には申し訳ない!)て北海道へ行った私としては残念だったのですが、2日目の夜ようやく降雪に出会いました。

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2日目夜。すすきの

3日目。

飛行機が14時頃だったので、近場を観光。

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時計台

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札幌タワー

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北海道庁

雪は残っていたものの、九州人の私でも歩けないほどではありませんでした。氷部分で滑って危なかったのは1回だけ。気をつけて歩けば大丈夫。ただ、ぬかるんでいたり、水たまりになっていたりは多かったので、穴の開いた靴では足が濡れて大変です。気を付けましょう。

もうちょっと時間があればとも思いましたが、いい旅でした。

このパック旅行を企画された旅行代理店の方々に感謝です!

 

ちなみに行きの飛行機から見た青森の雪景色もきれいだったので貼り付けます。

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雪化粧の青森市

 

 

日本酒バンザイ

私はあまり酒を飲むほうではありません。

でも、うまい酒は飲みたいです。

うまい酒というと抽象的で、「雰囲気が」とか「ウンチクが」とかもあるかも知れません。でも、やはり製品そのものが「うまい」のが一番です。

今回は、日本酒について。

私は基本的に端麗辛口の新潟の酒が好きです。例えば「夏子の酒」のモデルとなった「清泉」。すっと入り、どんとくるあの飲み口が大好きです。それから「八海山」の純米吟醸も、のみやすくてきれいな酒だと思います。

また、山形の酒も大好きです。

例えば日本を代表する日本酒のひとつ「出羽桜」。あのフルーティな香り!最高です!「雪漫々」にいたっては美しすぎて感動します。

そして、「十四代」。香り、キレとも最高で、うまさに至っては、あとひくうまさで、まったく飲み飽きしません。

また、乳頭温泉で熱燗を頼んだ時に出てきた「秀よし」も味わい深く忘れられません。

日本酒は不思議です。ロックでも冷でも熱燗でもいけるのですから。

個人的にはどの酒は「冷で」「熱燗で」とか決めていますが、好みは人それぞれですから、いろいろと試してみるのも楽しいですよ。

うまい日本酒に出会うと幸せな気分になります。

日本の城 その1 大分・府内城

城について語るというのはなかなか難しい。

城ができた時代背景、築城者の想い、受け継いだ方々、現在見守る方々の想いは大変重いもので、敬意をもって考えないといけないからだ。

恐縮ながら、私も日本史好きで各地の城を訪ね歩いているので、ちょっとだけ私見に基づき語らせてもらいたいと思う。

そんなわけで今回日本の城シリーズを始めます。

記念すべき第1回は大分市の府内城。

現在残っている部分だけみると、規模も小さく平城でもあり、評価が難しい。

しかし、資料を読み、つぶさに見て回るとなかなか興味深い城である。

1597年頃の築城開始ということで、例えば大友氏が立て籠もったと言われる高崎山城のような山間部ではなく、平野部で、しかも当時の海沿いにあるところに妙味がある。

戦乱の時代が終わり、比較的泰平時代の城なのだろう。要は、時代にマッチした海城なのだ。類例として高松城小倉城が挙げられる。そこから読めるのは、秀吉軍団の考え方だ。防備を固めるだけでなく、統治のしやすさ、機動性や兵站線(物流)を重視しているように思える。秀吉自身、小谷城から長浜城へ移っている。

石垣について見てみると、そこまで高くはない。しかも慶長の城は概ね野面積みから打込み接ぎになっていく時代の流れがあるが、府内城は丸々とした自然石を多用した野面積みだ。玉石積みのように見える部分もあり、そうした石たちの個性豊かな表情は一見の価値がある。このような形になったのは、秀吉の没年が1598年だから急ぎ城を完成させる必要があったのかもしれないなどと往時へ思いをめぐらすのもまた楽しい。しかし防備は大丈夫かと周囲を見渡すと堀の幅が広いことに気づく。水の力を活用しているのだ。

また現在、城の周囲は官庁街になっているが、その辺りは三の丸にあたり武家屋敷があったという。そうなると相当な規模だったと想像できる。

築城を始めた福原氏が改易になったあと、府内城を完成させたのは竹中半兵衛の一族、竹中氏だ。ここで重要なのは町民地を整備してより巨大な城域を成立させていることだろう。町民を守るという意識の表れなのかも知れない。

その後、松平氏の城となり明治維新を迎える。

白い漆喰の壁は、耐火性はもちろん、「徳川の白」をよく表しているようだ。

 

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現存する宗門櫓 工事中で土壁が露出していた。

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現存する人質櫓

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足場を組み上げて模擬天守とし、ライトアップしていた。(2019年2月時点)

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石垣の表情がとても良い