でも城好き歴史好きの私のような人間にとって彦根と言えば、やはり現存12天守のひとつであり、国宝でもある彦根城なのです。
今回から、実際に行って見て聞いて感じたこと(主観)を交えながら、数回にわたってご紹介します。
(事実誤認などあればご容赦ください)
琵琶湖の東岸にある彦根城は、言わずと知れた井伊氏の城である。
関ケ原の勝利の後、佐和山城に入った井伊氏は、居城を佐和山城ではなく、隣にある磯山(米原市。標高約160m)に城をつくろうとした(一説には家康の命令)。
佐和山は街道を扼するように存在しているが、磯山は琵琶湖に面していて、海運を活用でき、機動力も確保できそうだ。
そもそもこの地は交通の要衝だ。
現代でも、例えば私が東に向かう時、山脈越えの国道1号より、彦根を通り地形のおだやかな8号と関ケ原を通る21号を利用することが多い。
おそらく昔からそのルートを使うことが多かったのではと推察される。
そういう意味では、石田三成の後に、徳川四天王の一人であり、武勇に優れ、かつ交渉上手で頭が良いと言われる井伊直政がこの地にきたのはまさに適材適所と言える。しかし、関ケ原の傷がもとで1602年に亡くなり、その後を受け継いだ者たちが、彦根山(標高約160m)を選び、天下普請で築城された。
では何故彦根山だったのか?
そこに、この城の神髄をうかがい知ることができる。
断固戦い抜くための城なのだ。
優美な姿のうちに秘めた戦いの意志。
その背景や、城のつくりなど、次回に。
では、また。