2回目の今回は、内堀内の現存部分について、石垣や縄張りの様子などをお知らせします。あくまで個人で見聞きした範囲ですので、間違いなどあればご容赦ください。
実は彦根城に行くまでこの城のことは詳しくなかった。
美しい外見と平山城の形式から、泰平時代の象徴的な城だと思い込んでいた。
実際、内堀付近の石垣は、石垣の上に土を盛った腰巻石垣や、その上にさらに石垣を載せた鉢巻石垣があり、優しい印象がある。総石垣もあるのだが、高さはそんなになく、打込み接ぎの整った姿を見せている。
しかし、歩を進めるに従い、決して象徴的役割だけでなく、その本質は戦う城だということが判ってきた。
大手御門跡から本丸目指して歩いていく。
かつてはこの石垣の上に塀や櫓が林立していたのだろうと思いながら券売所へ。
彦根城・玄宮園観覧券(大人1名800円)を買ってさらに進む。なんとなく姫路城を連想させる長い坂道を登る。
坂道を登りきると、大堀切。ここは大手御門からと表御門からの坂道が合流していて、別口で攻めあがったと思っていた敵兵たちはここで出くわし、その数が多ければ多いほど身動きがとれないまま、四方八方から撃たれるかたちだ。
また、大堀切の上には、かの有名な天秤櫓と廊下橋。国の重要文化財。
戦時には落とすとされる廊下橋に接続する天秤櫓は、両方の坂道に沿って左右対称のかたちを見せるため、そう呼ばれている。長浜城大手門を移築したとも言われている。
天秤櫓をぬけると、太鼓丸。狭隘な道が本丸へと続く。
この狭さもまた、攻め入った敵兵を漸減(各個撃破)していく計算なのだろう。
正直、こんな城を攻める兵たちに同情するような縄張りだ。戦いの舞台にならず、幸いだったと思う。
この辺りに来ると、石垣の様子が、どうも野面積みのように見える。
城の中枢部分が野面積みとは、どういう訳か、見て歩きながら疑問だった。
疑問を抱えたまま太鼓門をくぐり本丸へ。
次回は天守閣の様子などをお知らせします。
では、また。