唐突ですが4月7日は戦艦大和最期の日です。
それは、私の叔父の命日でもあります。
というのも、戦艦大和の沖縄水上特攻である菊水作戦には、陽動あるいは進路開削のため、大規模な航空特攻作戦も併せて実施されました。私の叔父も海軍航空兵として参加し、戦死しました。
若干十九歳だった叔父は、戦争云々を語り残してはいませんが、その胸中はどのようなものだったのでしょうね。
小さい頃から空に憧れ、両親の反対を押し切って旧制中学3年修了時に超難関の予科練へ入り、甲飛十期卒の海軍航空兵となりました。
桜に碇の七つボタンを身にまとった時は誇らしい気持ちでいっぱいだったでしょう。
トンビマークや、白マフラーも。
やがて戦局の悪化と共に、甲飛十期は特攻作戦の中核となっていったそうです。
ひたすら空にあこがれた少年の想いは、特攻作戦という形で散華しました。
形の上では志願ということになっていますが、今では誰もが国家・軍部の命令だったことを知っています。
甥として、その胸中を察するだけでも押しつぶされそうな心持ちになります。
特攻作戦で戦死後、二階級特進し海軍少尉になるとともに、勲章が授与されました。今でも家にあります。それが、叔父さんが生きた証なのです。
少なくとも私は、叔父さんたちの犠牲の上に今の平和があるのだと思っています。
では、また。