bottibottiの日記

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軍艦防波堤に行ってきました

 

北九州市若松区には旧海軍の軍艦を沈設して作られた防波堤があります。

地元では軍艦波止場とも呼ばれていますが、桟橋の機能は始めからないようなので、やはり防波堤が正しいのでしょう。

場所は、若松区の埋め立て整備された区画の南東の隅で、ちょっとわかりにくいところですが、ググってみるとすぐに出て来るような有名な場所です。

今はいい感じの釣り場として多くの人が訪れます。車も海の間近に止められます。

ここに旧海軍の駆逐艦「柳」「涼月」「冬月」が眠っています。

現在かたちが分かるのは「柳」のみ。「涼月」「冬月」は完全に埋められています。

「柳」の艦首部分

「柳」は、大正6年(1917)に竣工した駆逐艦で、はるか地中海まで派遣されて人命救助などにも活躍したそうです。全長85.85m、全幅7.74m。基準排水量755t。

最大速度は31.5ノットといいますから現代艦にもひけをとりません。

実際に見た感想は、幅が狭いなあというものでした。大型フェリーに何度も乗った私としては心細くなるほどです。命をまとに海を渡った先人たちの勇気に感服です。

艦尾から艦首方向を臨む

沈設当初はまだ形がはっきりしていて観光名所になったそうですが、今はあちこち崩壊しています。

崩壊が進む艦体

「涼月」と「冬月」は「柳」の下記写真手前に一直線に並ぶように沈設されているそうですから、舗装部分の下なのでしょう。

「涼月」と「冬月」は、「秋月」型の姉妹艦で、基準排水量約2700t。

前述「4月7日」の記事でも触れましたが、戦艦大和の沖縄特攻作戦である菊水作戦に参加し、大和を護衛して戦った艦です。何とか生き残り、多くの水兵を救助しながら佐世保に帰り着いたそうです。米軍の猛攻という阿鼻叫喚の修羅場をくぐった両艦にはどんな光景が見えていたのでしょうか。

なお、艦名は海上自衛隊の防空護衛艦とも言える「あきづき型」の3番艦と4番艦に引き継がれています。

今は沖合に防波堤が設置されているので、その役目も終えて静かに眠っています。

平和の時代に、この3艦は何を思うのでしょうね。

では、また。